イチロー伝説

イチローの伝説として語り継がれる名言、数々の記録・成績・年棒。伝説のウラに隠された子供や嫁のエピソードや謎にも迫る!

イチローを真の天才に変えたのは仰木監督!? そのエピソードとは!?

   

若き頃のイチロー選手を育て上げたのは紛れもなく元オリックスブルーウェイブで指揮を執っていた仰木監督です。天才イチローが生まれるまでのエピソードを語るには仰木監督は外せません。今回は仰木監督とのエピソードについてまとめてみました。

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仰木監督ってどういう人?

仰木監督とはどういう人だったのでしょうか?仰木監督は元々は西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)のセカンドで、守備の名手として活躍されました。

 

仰木監督は近鉄バッファローズ(現オリックスバッファローズ)の守備走塁コーチを経てオリックスの監督になりました。

 

その後、監督としてのキャリアを順調に積んでいきました。阪神淡路大震災の年には神戸で被災された方々の気持ちを背負い、チームを初のリーグ優勝に導きました。

 

また、仰木監督選手育成に定評があり、イチロー選手をはじめ、野茂秀雄氏、田口壮氏など多くの選手の才能を引き出し、メジャーリーガーや球界を代表する選手を次々に輩出しました。

 

仰木彬氏は2005年に70歳の若さでこの世を去りましたが、今でもなお多くの人の記憶に残っています。

 

イチローと仰木監督の関係は!?

イチロー選手と仰木監督の関係はいわば、「師弟関係」と言っていいかと思います。イチロー選手がここまで活躍できたのも仰木監督がいたからだと言っても過言ではないでしょう。

 

仰木監督は野球のプレーに対する指導技術はもちろんですが、他の監督にはない圧倒的な「人心掌握術」をもっていました。

 

イチロー選手本人も仰木監督についてのエピソードとして、仰木監督の元ではいつでも気が抜けなかったと言っています。

 

「どんな人間かを察知する能力が確実にあって、それに応じて選手を操る。」

「仰木監督は心のつかみ方の型を無数にあるように見えた。それがマジックなのかもしれない。」

 

これはイチロー選手が実際に口にした言葉です。イチロー選手も仰木監督の選手への関わり方には頭が上がらなかったようですね(笑)

 

「イチロー」誕生のエピソードとは!?

ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、イチロー選手は最初は「イチロー」ではなく、「鈴木一朗」が選手登録名でした。

 

そして当時、イチロー選手は能力が高く素質があると評価されていたのですが、かなりの自信家だったので、「上層部のいうことを聞かない、使いにくいやつ」として、干され気味でした。

 

そんな中こんなエピソードがあったのです。それは仰木監督は自らチームの主力であるイチロー選手や田口選手がいるハワイまで足を運び、この二人をプライベートで食事に招待したときのことです。そのときに、仰木監督はイチロー選手にこう言ったのです。

 

イチローと誰にも親しまれる呼び名に変えた方がいい。」

 

イチロー選手も即座に選手登録名を変え、自分のことを大切にしてくれて、親身になって自分に接してくれる監督として仰木監督を尊敬していくようになりました。

 

こうやって師弟関係は生まれたわけです。人間関係に苦労していたイチロー選手が一皮むけるキッカケを与えた仰木監督のマネジメント力は本当にすごいなと改めて私も感動しました。

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