イチロー伝説

イチローの伝説として語り継がれる名言、数々の記録・成績・年棒。伝説のウラに隠された子供や嫁のエピソードや謎にも迫る!

イチローと野村監督は実は犬猿の仲!? 日本シリーズに背景が!!

   

イチロー選手野村監督には何とも言い難い確執のようなものが存在します。理由は二人が戦った1995年の日本シリーズまで遡ります。今回はイチロー選手と野村監督の間になぜ確執が生まれたのか、その実体に迫りたいと思います。

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野村監督ってどんな人?

野村監督は1954年から27年間、日本プロ野球界で活躍しました。南海ホークス(現ソフトバンクホークス)、ロッテオリオンズ(現ロッテマリーンズ)、西武ライオンズで正捕手としてプレーをしていました。

 

引退後は東京ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務め、リーグ優勝、日本一を経験している名将です。

 

中でもデータに基づいて長時間のミーティングなどを行い、勝つための戦略をたてる方針を貫き続けました。その結果、野村監督の野球は「野村ID野球」と、言われるようになりました。

 

野村監督の指導を受けた選手たちはどんどん自分の能力を開花させ、古田敦也氏や石井一久氏、稲葉篤紀氏など、日本球界を代表するような選手へと成長させていきました。そのため、選手育成にもかなり高い支持を得ていました。

 

野村監督がイチロー選手を痛烈批判!?

野村監督は元々イチロー選手をすごく高く評価していました。シーズン200本安打を達成してもいましたし、ストイックに練習する姿をみて、「親の教育がからだ」と舌を巻くほどだったのです。

 

しかし、1995年の日本シリーズのときあることをキッカケに評価は一変しました。イチロー選手が所属し、仰木監督が率いるオリックスと野村監督が率いるヤクルトが対戦していたときです。

 

移動する際の飛行機の機内で、たまたま野村監督が座る座席の前の座席がイチロー選手の座席でした。座るときにお互いの存在に気づき、なおかつ目も合っていたそうです。

 

このときになんとイチロー選手は野村監督を無視したそうです(笑)さすがはイチロー選手。若いときのイチロー選手は確かに周りの人に対して、気配りをするようなタイプの人ではありませんでしたからね(笑)

 

野村監督は、そのことが気に入らなかったようで、「挨拶もせえへんのか。教育がなっとらん」とイチロー選手に対して苦言を呈しました。

 

イチロー選手が野村ID野球を痛烈批判!?

イチロー選手も野村監督のある行動に対して痛烈に批判をしているのです。その行動に対しては賛否両論あるので、皆さんも自由にどちらが正しいと思うかジャッジしていみてください。(笑)

日本シリーズが始まる前に野村監督はメディアに対して、イチロー選手は内角に弱点があるので、インコースを攻めるということを公言していました。当然イチロー選手の耳にもその情報が入っていたでしょう。

 

しかし、イチロー選手は足も速いため内角を攻めて内野ゴロをたくさん打たせても、内野安打になる可能性が高いのです。そこで、内角を攻めると言いながら、いざふたを開けてみれば、外角の高めばかりボールがきたのです

 

野村監督は外角の高めを集中的に狙うようにバッテリーに指示していました。外角高めというのは内野フライや外野フライで打ち取りやすいコースになります。フライであれば足の速さは関係ないので、確かに賢い戦略だとは思います。

イチロー選手にはアンフェアに感じたのでしょうね。どうやら耐えられなかったようです。「あんなの野球じゃない」と痛烈に批判しました。

 

そんなこんなで、野村監督とイチロー選手は犬猿の仲になってしまったのです。私個人の意見ではありますが、どちらにも「勝つ」ということへの執着心が高かったゆえの争いなので、大尊敬しているんですけどね(笑)

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